【ボスニア・ヘルツェゴビナ】どんな国?行くべき町は?|海外旅行


▶︎ 若者が復興を支える国『ボスニア・ヘルツェゴビナ』

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、第一次世界大戦の引き金となった場所『サラエボ(首都)』や、ボスニア紛争でご存知の方が多いと思います。
私がボスニア・ヘルツェゴヴィナに行きたいと思った理由は、高校の英語の教科書で多民族国家で起きたボスニア紛争を知り、ずっと記憶に残っていたためです。
あと、サラエボの中心地にある、西に踏み出せば西洋、東に踏み出せば東洋という「文化の線」を見てみたいと思っていました。

▶︎ 悲劇と和平を伝える世界遺産がある町『モスタル』

ボスニア・ヘルツェゴヴィナに行くなら、ぜひ訪れてほしい町があります。
古都『モスタル』は、川を挟んで東側がイスラム系地区、西側がカトリック系地区です。
ボスニア紛争では民族共存が分断され、市街戦となりました。



↑写真の奥の建物は、イスラムのモスクです。
対岸にはキリスト教の建物があります。



↑平和の象徴「スターリ・モスト」
紛争で破壊された「スターリ・モスト」ですが、再建され、現在は両岸の民族をつなぐ架け橋となっています。


観光客も訪れ、橋周辺のお土産屋さんも賑わっていました。
冒頭の写真のように、イスラム文化を感じるお店もあります。
歴史を知っていると、度胸試しで橋から飛び降りる人たちの元気な様子も穏やかな町の景色も、本当にかけがえがないものだと感じました。

▶︎ 最後に

ボスニア・ヘルツェゴヴィナには、ドゥブロブニクからタクシーをチャーターして行きました。
入国すると、銃弾の跡が残る建物が目につきます。
そして、観光地以外で女性の観光客が一人歩きしないようにと、タクシーの運転手さんからの伝達事項。。

3年半続いた紛争はボスニア・ヘルツェゴヴィナに深刻なダメージを与えました。
サラエボの通称スナイパー通りには、”childhood museum”という施設があります。
子供でも狙撃兵に狙われたため、外に出ることは危険を伴いました。
戦場で育った子供たちが持ち寄った、当時の生活が分かる品々が展示されています。
そして、その時代に子供だった人たちが施設を運営しています。

若い人たちも平和の大切さを伝え、国の未来を信じて希望をもって生きていることを知り、行って良かったと思いました。

そんなボスニア・ヘルツェゴビナを訪れる際は、こちらの持ち物をお忘れなく。

👉パスポート
EU加盟国ではないため、国境を超える時にパスポートが必須です。

👉水分、帽子、日傘
夏は想像以上に暑いです。
ものすごく喉が乾くのですが、飲み物の物価が高いのでEU加盟国で準備してもっていくことをおすすめします。
私は脱水&熱中症で、体力には自信があったのですが、観光後半は頭痛のためダウンしました😂

悲しい歴史がありながら笑顔で復興に向け生活する人々に感動し、そして暑すぎた記憶が色あせない、思い出深い旅先でした。

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